先日、橋について書かせていただきましたので、今日は「辻」について書いてみようかなと思います。
妖怪話や言い伝えなんかを見ていると、色んな物を巻き込む場所だというような理解をされていたような気がします。
考えてみれば、色々な物が行き交い、人が出入りするのが道なら、その道が二つ交差しているっていう形状に集中して見てみれば、「入り口が多数ある広場」とも受け取れなくもないですね。
…で、面白いのが、結構、葬式に辻を使っている地方が多い事です。
「墓、もしくは、村の辻にお線香を立てておくと、その煙にのってご先祖様がやってくる」とか、「お盆の時は、辻を中心に踊る」なんて風習がある所もあります。
葬式ってのは、まあ、割合的には年寄りの方から先っていうか、何事もなく順番通りにゆけば当事者の多くは、年寄りなるもんで、当事者達の希望を反映させようとすると、出来る限り古い風習を残そうとする意見が強いのかもしれません。
また、若者も、余命いくばくもない相手の希望を、そう「無下に断る事もないっ」という背景もあって、必然的に昔の日本の風習やら、物の考え方を、現代へと色濃く残すモデルとなるのかもしれません。
そんなこんなの理由からか、民俗学なんかでもこの分野のフィールドワークを重点的に行う方は多い気がします。
辻の葬式話をいくつか上げてみますと、神奈川県の一部では、今も残っているのか、よく知らないですけど、葬式があると村の辻に、白い紙のついた竹の串を突き刺すなんて風習があったそうです。
時代劇なんかで棺おけの死体の頭につけられている三角の白い紙。あれが、串についているって事みたいなんですよね。
何でも、考え方としては、墓場から戻ってきて、そのまま家に来られて祟られても困るから、とりあえずここでたむろしていて下さいっていう目印に使っていたみたいですね。
言い方を変えれば、お体を無くされた方が、そこから外に出てゆけないよう閉じ込めて、鍵を閉めちゃったって事になるんでしょうね。
さらに、沖縄県にも「石敢当」という魔除けが辻辻に置かれていると聞きます。
「石敢当」では、この辻を通る通行人から向って正面に置石をおくんですが、さらに、辻を曲がってから最初に目に入る場所にも置かれます。少し、しつこい気もしますが、逆に、そこまで、しつこく置くという事は、辻毎に身体を持たない方々が襲ってくるとでも思ったのかと想像してしまいます。当時の人が、辻と妖しい物の関係を余程、怖がっていたんだろうなと思わせられる話です。
ただ、これらの話を読んでいると、意味としては畏怖の気持ちも充分伝わるんですけど、何故か、軽い遊び心みたいな物も匂ってくるんですよね。
小学生の頃、「この空き缶を家まで蹴れなかったら死んじゃう」とか「柳の木の前で息をしたら死んじゃう」とか言って、河原の土手で柳の並木道に出くわして、顔面蒼白となった…。
そう、あの、「自分掟」もしくは「俺等ルール」という子供の習性です。
だから、もしかしたら、お葬式の風習を変えなかった爺さん達が、死ぬ間際に残したかった物って、古い風習じゃなくて、子供の頃のそんな思い出っていうか、恐怖の雑ざった遊び心みたいな物…。
なんて事を考えても悪くないですよ…ねぇ?