「妖怪」という言葉そのものが使われたのは、日本の書物では「続日本紀」(西暦722年成立)が最初で、中国の漢語にあった「妖怪」という言葉が受け入れられ、広まるようになったそうです。(この辺はWikipedia調べ)
ただ、「妖怪」という言葉に拘らなければ、怪しげな物、不可解な物を記した記述は、700年代に成立した書物には多く見られるような気がします。
その中でも、特に有名な物が日本書紀(成立720年成立)や、古事記(西暦712年成立)などでしょう。
ニニギノミコトが天孫降臨する下りで、当時の葦原中国を表現する一説で「復有草木咸能言語」と書かれております。これなんかは、読んで字の如くで、草も木も物を喋っていたと書いてあります。私なんかは、素直に「妖怪の発生だ」と喜んでしまいます。
さらに、時を遡ってみますと、イザナギとイザナミが出会った時に、女性の方が先に歓喜の声を上げた為、骨もなく三歳になっても歩く事が出来ない子供が産まれたとあります。
これが有名な蛭子という事になります。
そして、そこから陰陽の理に違反する事が妖怪の発生原因とも捉えられるようになったとも書かれています。
さらに、イザナミを探し求めたイザナギが黄泉津平坂を訪れた時、その帰りに醜女に襲われた記述にも、醜女以外にも妖怪らしきものが現れます。
イザナギがイザナミの死体を目にした時、イザナミの体を醜女とともに「八色(やくさ)の雷」と言われる神たちが取り囲んでいたと記された記述です。
余談ですが、これらの記述は血液の凝固による静脈の浮き上がりや、腐敗ガスによる肉割れ、皮膚の破損といった人体の腐敗現象を神として擬人化したという捉え方もあるようです。私としては、上記の捉え方がしっくりくるような気はします。
話が少し脱線しましたが、私は醜女も八色の雷も妖怪の原型の一つとして捉えています。
また、彼等に対してイザナギが桃の実を投げている所から(その後も、桃の実は鬼を祓う、神聖な食べ物の一つとして扱われている)、日本における「鬼」の原型なのかもしれません。
さらに、今度は時代が下り、天照大神が天岩戸に隠れた時の話になると、日輪が消え去り、世界が闇に閉ざされ、群妖、万妖が地に満ちたと記されています。
主に、以上にいくつかのポイントが神代を記した記録に見る、妖怪の起源といえるのではないかと、私は思っております。
①自然物(自然由来:喋る草木)
②陰陽の理を違える事で生まれてしまった。歪んだ生き物。(反自然由来:蛭子)
③死と生を分ける事で生まれた者、生きている者とは違う世界の住人(死後の世界由来:醜女、八色の雷、その後、鬼へ発展)
④天照大神が身を隠す事で生まれてしまった者たち(支配者由来:群妖、万妖)
①は、人間の存在以前に先立つモノ。むしろ、山や海といった自然と地続きの現象、アニミズム的な信仰対象と捉えられるかもしれませんね。
また、②は、陰陽の理を違えるという理由がはっきりしているので、人間がやらかしてしまった過ちというか、とにかく守るべき「理」があって、そこから逸脱した事で起こった歪みのようなモノと言えるかもしれません。
そして、③は、死を意識する事で生まれた、日常とは違う世界の住人。
最後の④に関しては、天照大神(支配階級)が姿を消したこ事による、社会への影響(治安の悪化など)、もしくは、派閥抗争の敗者の出現とも捉える事もできます。
こうやって見て見ると、「妖怪」という言葉が日本で浸透する以前から、社会の発達の過程の中で生じた違和感や不安を形にする言葉を、古代人は探していたのかもしれません。
それは、不安に何かしらの形を与えることで、不安と恐怖に取り巻かれた古代社会の中で、少しでも穏やかな一日を送ろうとした「古代人の知恵」のような物なのかもしれません。
きっと、当時、中国から伝わって間もない「妖怪」という言葉は、彼らの心の琴線を、著しく刺激した事でしょう。