鬼舐頭

若い頃の写真を見たりすると、自分の生え際の位置が変わっている事がわかる年代になってまいりました。

三十代くらいの頃は角度やら、光の加減やら髪型がどうとかと、自分なりに言い訳をつけるくらいの事は出来たのですが、最近の額の広がりは我ながら立派すぎて、そんなおためごかしを挟む余裕もございません。

そんな事を考えておりますと、昔はどうだったのかなと思いを馳せる時があります。

今の昔に関わらず、薄毛という物は人を考えさせたようで、昔の妖怪話にもそんな様子が伺い知る事ができる物があります。

世事百談という書物の中にも薄毛に関しての文章があったので、少し抜粋してみました。

「伊沢氏の説に、世に頭髪のなにごとなく脱けて、銭の大きさ、あるひは指のはらばかりにはげたるを、げぢに舐められしというを…」

こんな一文がありますが、この後に続く文章も含め、意訳してみましょう。

「伊沢氏の話では(伊沢さんは誰だか知りませんが)、巷では特に理由もなく銭や指の腹のような形で、頭髪が抜けた時は、『げぢ』になめられたといいます。また、その『げぢ』を『げじげじ』という虫だと思っている人の話もわりと聞きます。でも、ここでちょっと、考えてみて下さい。もしも、本当にこの『げぢ』が『げじげじ』という虫なのならば、「舐める」という言葉を使うのはおかしいんじゃないでしょうか?虫なら「這う」ではないでしょうか?昔から「舐める」という言葉があてられた事には理由がるのではないでしょうか?」

まぁ、こんな風な内容です。

ここから話は海を渡って、遥か中国へと至ります。

中国では、昔から月食の日に沐浴をすると、天狗星(流れ星)の精である下食という鬼がでてきて頭を舐められ、鬼が舐めた後は、その舌の形に毛が抜けるという言い伝えがあり、それを鬼舐頭という病気として捉えていたようです。世事百談の作者山崎美成は、当時(世事百談が編纂されたのは江戸時代中期頃です)巷で言われていた「げじに舐められる」という話は、虫の「げじげじ」ではなく、中国の言い伝えにある下食が訛って、「げじ」になったと主張しています。

彼の論の裏付けとして、大江匡房、一条兼良などの著名人の著作を上げて、鬼舐頭という病気と、下食という鬼の存在を訴えています。

この下食という鬼ですが、何の為にそんな気持ち悪い事をするかというと、その理由は、ずばり「お食事」であり、月食の日に人々の生気を頂いているそうなのです。

ここで思い出して見ると、最初の引用文で毛の抜けた箇所を「銭の大きさ」「指のはら」と表現していました。

そこから考えると、この鬼舐頭の作る薄毛というのは、私のような経年変化の代物というよりも、むしろ、突発的な円形脱毛症のようですね。

円形脱毛症の原因は、諸説ありますが、精神的ストレスも要因の一つとなりうるとも言われています。

そうした要因から円形脱毛症を発症した人を身近に見た場合、昔の人は「鬼に生気を舐められたのだ」と理解してしまったのかもしれません。また、周囲の人だけではなく、本人に対しても、理解できない情緒の不安定さを「鬼に舐められた」と理由をつける事で治療効果のような物を望めたのかもしれません。

少し時代を遡ってみてみましたが、山崎美成の力説、室町時代の国学者一条兼良の文献、平安時代の歌人大江匡房の記述、中国の話と色々な話が出てきました。

経年変化、突発的な物と違いはありますが、大昔の偉い人も文章に残す程、抜け毛を気にしていて、さらに、そういう文章が歴史に残っているという事は、後世の人々が、「抜け毛に関しての文章を捨て置けなかった」とも言え、そんな事を考えながら、現代に生まれた私が、鬼舐頭云々という文章を読んでいる事を考えると、時代は変わっても、人が気にするポイントてのは、そんなに変わらないのだな…などと妙に納得させられてしまいます。

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