化け猫

現在のような治水の整備もされていなければ、殺鼠剤もなかった江戸の昔、農家においても、町家においても、猫は鼠退治の主役として重宝されておりました。

特に鼠を嫌う業種などでは、猫の重要性は、より切実なモノとなり、奥州の一分の地域では、馬一頭一両の値段に対して、猫に五両もの値段がついた事もあるそうです。(その時代の金相場によって一両の価値は変わってきますが、現在のお金で、一両:3万~7万程度と考えてください)

また、そうした猫飼の習慣は、一種の信仰に近いモノもあり、生身の猫を手に入れられなかった人などは、猫の絵を家に貼り、鼠避けとした程だと聞きます。

そんな中、鼠が家中を走り回っているというのに、猫を飼おうとしない家がありました。

なぜなら、その番長(今の千代田区)の武士の家では、家訓により猫が飼えないとの事だそうです。

ある客人が、興味を持ち、その家訓の経緯について、当人に聞いたところ、家訓が出来たのは、その武士の祖父の世代からだとの事。

なんでも、武士の祖父が、長年飼っていた猫が、雀を採ろうと飛び掛ったのを眺めていた時に、事件は起こったそうです。

残念ながら、猫が飛び掛るよりも、一瞬早く雀は飛び立ち、猫は雀を逃がしてしまう事になったのですが、問題は、その後でして、雀を逃がした猫が一言「残念也」と言ったとの事です。

それを聞いたお爺さんは驚いて、近くにあった火箸を猫の前に突き立て言いました「おのれ畜生の身として、物いう事怪敷」

さらに、猫、応えて「物いいし事、なきものを」(現代風に言うと、『俺、言葉なんて喋ってねぇよ!』って所でしょうか)

その応えで、呆気にとられたお爺さんの火箸を持つ手が緩み、その瞬間、猫はその場から逃げ出し、それ以降、この武士の家では、猫は飼わないという家訓が出来たとの事です。

「言葉なんて喋っていない」と言葉で文句を返す猫というのも、洒落がきいていて面白い話ですね。不思議だけど、ちょっとした愛嬌があるのが、日本の妖怪話のよい所だなと、いつも感心させられます。

また、都市生活の発達に伴う鼠の増加により、鼠避けの猫に需要が集まり、さらにビジネスの世界の需要と結びつき、一つの信仰のような現象を産み、それが民の元に戻り、遊びとして物語になる。

そうした社会的な連環から考えてみても、とても不思議で面白い話ですね。

※殺鼠剤は、江戸時代後期には、亜ヒ酸などを主成分とする物が石見銀山の名前で発売されてました。ちなみに現在ある殺鼠剤は、毒物というよりもビタミンKを抑え、血の凝固を不能にする薬である。薬を飲んだ鼠が、胃や口の中に傷を負い、傷による出血がとまらず出血死、もしくは、胃からの血が気道を塞ぎ窒息死する仕組みとなっているので、もし謝って飲んだとしても、すぐに病院に行けば問題ないとの事です。

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