新宿 淀橋

前回、江戸の七不思議について書いたので、今回も東京の妖怪系史跡について書こうと思います。(誠に勝手ながら、私、妖怪系史跡を妖跡(あやせき)と名付けております)

新宿に淀橋という地名が残っています。

それ以前の名前は、姿不見の橋というそうでして、それを将軍様(家光説、吉宗説あり)不吉だからとか、橋から見た水が淀んでいたというような理由で淀橋に変えたというような事が言われています。

話を「姿不見の橋」に戻しますと、将軍様も変えたくなるような、なんとも不吉な名前ではありますが、その名前の由来を調べてみますと、言い伝えでは、昔、中野長者と呼ばれた大金持ちがいて、橋の向こうに下男をつれていって、宝を埋めて帰ったが、下男が秘密をばらすのを恐れ、橋の袂で下男を殺してしまい、それ以来、宝を埋めては、人を埋めてを繰り返すようになった中野長者。

二人で橋を渡ったのに、橋を渡った下男の姿だけは見られない。

そんな所から姿不見の橋という訳なのだそうです。

名前に負けず劣らず、その由来も不吉で物騒な姿不見の橋ですね。

さて、この極悪非道な心配性中野長者ですが、因果応報世のならいとはよく言ったもので、月日が経ち、中野長者の一人娘が婚礼の為、この姿不見の橋を渡った時、大蛇につれてかれてしまい、中野長者と娘は二度と会う事が出来なくなってしまいました。中野長者は、自分の行いを反省して、出家しましたとさ。

簡単に言えば、こんな顛末らしいです。

宝を埋める度に従業員を殺して埋めるような人が、このくらいで反省するのだろうかという、ささやかな疑問を抱いてしまう、自分の性格の悪さも一種のホラーだな…などと思ってしまうついこの頃です。

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