色んな七不思議がありますが、ネットなんかでも諸説ありますが、以前私が読んだ本では最も古い七不思議は越後(新潟)七不思議だとありました。その次に古いのが甲斐の国七不思議という事らしいです。
本来は江戸の人達が見る事の出来ない遠国での不思議な話を集めて、それを、大体、七つくらいずつに整理する傾向にあったというような話だったようです。
一方、麻布、本所、番町、下谷なんていう東京にも七不思議が出来るようになったのは、それから少し後の事で、江戸の経済が発展し、人口が増大するに従って、遥か遠国に思いを馳せるよりも、身近な場所でイマジネーションを働かせるようになったのか、それとも、地方から開拓しにきた住民が自分の故郷の話をしていた時から、代が移り、子供の代では完全に江戸が故郷となり、生活文化が根づき、自分達の生活を娯楽的に物語的に見るようになっていったのか。
どっちが、どっちなのかは、よく知りませんけど、案外、今に続く地名もあって面白いんですよね。
特に麻布の七不思議が、妖怪系の七不思議とはちょっと趣きが違っていて、面白いのでいくつか上げてみます。
(※尚、七不思議もその時代によって、微妙な入り代わりがあるようでして、ここで上げた七不思議とは、少し違った麻布七不思議もあるようです。興味のある方は、探してみてください)
麻布七不思議
一、善福寺の逆さ銀杏。
親鸞上人が地面に杖をさしたら生えたらしい。
二、六本木の地名
当時、六本木に大名屋敷なんかが立ち並んでいた頃、そこに住んでいた大名の苗字が、上杉とか栃木、高木、青木、片桐、一柳という名前で、偶然、全員に木の名前がつくって事で、六本木だという説はありました。
しかし、本当の理由はよく判らず「麻布生まれで、木が知れぬ」なんて川柳も残っているぐらい昔から不思議がられていたらしいようです。
三、要石
昔、邪魔なので退かそうとしたら、根元をいくら掘っても掘り切れず、ついには退かせなかった。
ちなみに、この石は現代において道路改修の邪魔になるていう話で、爆破したらしい。地元では、病気を治してくれる有難い石だったらしい。さすが文明の利器ですね。ロマンもご利益も、一網打尽の木端みじん。
四、貧乏長屋、釜なし横丁。
ようは貧乏人ばかりが住んでいる長屋があったんだけれど、そこは人が大勢いるのに釜が一つしかない。なんでだろう?という不思議。結局、みんなで釜を使いまわしてお米を炊いていたという事なんですけどね。
そうやって貯めたお金で、横丁の皆様は巨大な形をした大きな山車を特注して、氏神のお祭りで練り歩いたとの事です。結構、目だったらしいです。
五、狸穴(まみあな)
今のソ連大使館のある辺りに、狸の巣穴があったらしいんですけど、それが不思議だなって話です。
六、羽衣の松。
平将門討伐に出た源経基が脱いだ衣服をかけたらしい。まあ、ようは一本だけ松が生えていて、なんでこんな所に生えているんだろうな、それも一本だけ?てお話。
七、広尾ガ原の送り囃子。
まあ、読んで字の如く、当時原っぱだった広尾を夜中に歩くと、何処からともなく祭り囃子が聞えるという話。誰か練習でもしていたんですかね。
…こうして見てみると、結構、怖い話っていうより、「なんでやねん!」という突っ込み話が多いような気がします。
むしろ、元々の七不思議って、怪談メインというよりも、その区域の珍しい話を集めたという印象を受けます。
その土地色の強さで、怪談めいた物が多い所は、怪談風の七不思議が出来上がり、そこに江戸の怪談好きの風潮が重なり、さらに、戦後、大映の「妖怪百物語」や新東宝の「本所の七不思議」なんかで妖怪の印象が強くなり、最後の一押し「学校の怪談」系の話で、すっかり妖怪話とイコールになってしまったというような経緯を想像してしいます。。
今も昔も、やっぱり、みんな珍しい話や、怪談は好きなんですね。